はったつれじでんす

中の人はグレーアスペ×ADHD混合型です。"れじでんす(レジデンス)"とは住宅という意味で、ブログタイトルの【はったつれじでんす】は、このブログが、発達障害当事者やその周囲の方の拠り所となることを願ってつけたものです。発達障害は脳機能の凸凹と言われていますが、時としてそれが恵まれた才能として開花します。そんな、発達障害という優れた武器を使って現代社会を力強く生き抜くための情報を日々発信しています。時には発達特有の想像性や独創性を活かしたユニークで面白い記事も書いていきます。

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親の神経質は子どもにとって悪影響です。

神経症者は自分が神経症とはなかなか気付かない。
もし子供が出来てから自分が神経症だと気付いたらどうすればいいのか?

自分には愛する能力がないと認める。子供に立派なふりをしない。「ごめんね。一緒に成長しようね」
これが出来れば子供は救われる。ただ神経症的自尊心がそれをさせない。

 

(@sinrizm05)のツイートより

 

「テレビの中の自分」とか「人類はみな、目に見えない連中に操られている」といったことを小さいときに聞いたことがあったり、自分で想像したりしたことが誰しもあるのではないでしょうか?

 

神経症当事者の親は、自身が神経質であることを自覚できません。自分のどんな思考や振る舞いがそのようなものであるのかわからないので改善のしようもありません。

 

 

 虹の足

                  吉野 弘

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

 

https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/no98_15.htm)より引用

 

この詩は、中学校の国語の教科書にも載っています。
詩の内容自体はポジティブなものになっていますが、

 

多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。”

 

他人には見えて
自分には見えない

 

上記の引用部分が、神経症者の特徴を本質的に表しています。

 

実際に神経症の方は、神経症とは何か?どのような特徴なのか?それが自分にも当てはまるのか?ということを知らない人も少なくありません。

 

そして、仮に自身にそのような傾向があることを知ったとしても、そのことを認めて、改善にまで至れる人は正直多くはないです。

 

なぜなら神経症の治療は、強くない自分もありのままに受け入れなければならないからです。

 

そんなときに子どもを授かったならばどうでしょうか。

 

 

子どもは小さいときから親のことをよく見ているし、それこそ親の気持ちが痛いほどわかるでしょう。

赤子時代はさておき、子どもが少し大きくなってくると、子どもは自らが親の機嫌を敏感に感じ取り、いつでも親に合わせた反応をするようになります。

 

これは、自分の不快感情を避けたり自身に危害が加わることを予防したりするということでもありますが、子どもにも理性があり、他者へ配慮する気持ちが芽生えるのだと考えると、親の顔色を伺い状況に応じた反応を示すことは、子どもなりに親を困らせ悲しませるようなことをしたくないからだとも考えられます。(小さいときの僕がそうでした)

 

子どもなりに他者の気持ちを感じ取ることができるのは素晴らしいことですが、それが子どもの中で常識になってしまうと、本人が大きくなったときに人間関係で苦労しやすくなります。

 

いつも人の目を気にしてビクビクしている。はっきりと自己主張できない。建設的な議論ができない。または、いつも喧嘩腰になってしまう。人の言いなりになってしまう。

 

これは、子どもが幼いときに神経症傾向のある親の顔色を伺ってばかりいたために、大きくなってから無意識に刷り込まれた対人劣等感として現れるためです。

 

自己主張ができないと必然的に自分の気持ちを意識して自覚するためのアウトプットの機会も減りますし、もともと繊細な人が日常的に感情を抑圧していると、あるときから自分の気持ちを自覚しづらくなってしまうことがあります。

 

アダルトチルドレンの一番の特徴(課題)に「主体性の獲得」というものがあります。

青年期で言うところの「自我同一性・アイデンティティ獲得」も同じような概念です。

 

人の目を恐れて自己主張してこなかった結果、表面上の自分自身の気持ちが平坦になります(感情の平板化)。

 

自閉傾向や知的な偏りのような先天的な特性を持っている方を除いては、感情表現が苦手な人は、日常的に自分の感情を自分で抑える癖がついてしまっている場合が多いです。

 

感情の起伏が平坦だと、実際にどんなことが起こるのかというと、学校では友だちができない、イジメられるし仕返しもできない、恋愛では奥手や受け身になるなどです。一つ一つが案外馬鹿にできません。

 

感情がイキイキしていなければ友だちにも恵まれにくく、良い恋愛や結婚もできなくなりますし、そうなると最終的には、生物の中の一個体として子孫を残すことが難しくなるばかりではなく、それ以前に人として理想的な社会生活を送ることもままならなくなるでしょう。

 

今回は、親の神経症が子どもに悪影響を与えるという話でした。

最後まで見てくださりありがとうございました。

 

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